Tube #5, Sendai Mediatheque, 2
Originally uploaded by cittadioro
壁のない建築物であるせんだいメディアテークは階段もガラス張りのチューブである。扉の開閉でトポロジカルな構造が変化する。地下の駐車場とつながっていることを考えると、時としてクラインの壺が出現したりしているのかもしれない。
Photographs of the Golden Cities
壁のない建築物であるせんだいメディアテークは階段もガラス張りのチューブである。扉の開閉でトポロジカルな構造が変化する。地下の駐車場とつながっていることを考えると、時としてクラインの壺が出現したりしているのかもしれない。
藤森輝信による秋野不矩美術館。天竜川が彫り込んだ渓谷のそばで、交通は不便だが、居心地のいい場所にある。ヴァナキュラー(土着)の材料を使って、直線的な形状の入り組んだ、コルビュジェ的インターナショナルスタイルな形状であるという、やや屈折したコンセプト。しかし、21世紀の建築を先取りしたものであると個人的には思っている。
アムステルダム南部にある、1920年代に拡張されたあたり。煉瓦造りの低層住宅群はアムステルダム派のものである。その一角に、こんなベンチがある。背後にある図書館につながる powerline (風水でいう龍脈のことか?)をためる powerzone であると、出会った人から聞いた。
アムステルダムは水路の街である。東京の暗渠や埋め立てられた水路とは違い、ここでは水路がまだ市民の交通路である。ただ、信号がないので、交通整理が必要な時間帯がある。
アムステルダムの運河沿いにある醸造所 't IJ . アムステルダムでは最高のビール呑み場である。中心部をやや外れているせいもあって、オランダらしさを感じられる場所でもある。
デルフトは小さな街だが、フェルメールやデルフト焼きなどで歴史的な存在感は大きい。そしてデルフト工科大は現在の存在感をしめしている。
その、デルフト旧市街と同じくらいのキャンパス内にある三角錐と丘のように見えるものが、図書館である。中に入ると、驚くくらい洗練されている。このくらいのものに日々触れていないととんがった発想は出てこないのかもしれない。
イングランド西部にある Bath という都市を、ほんのわずかな時間であるが訪れることができた。
ローマ時代に浴場があったことからこの名前がついたというが、風呂嫌いの英国人にしては目立つ名前だったのかもしれない。写真は、いまは遺跡となった浴場(しかし給排水は当時のものが使われている)のそばにあるゴシックの教会(Bath Abbey)とパブリックアートのブタである。
レイアウトの設定の問題で、画像の右端が切れています。画像をクリックすると flickr にて正しい画像がご覧になれます。(釣りではありません。)
ドレスデン城と旧宮廷教会をつなぐ廊下は、限られた人間しか通ることができなかったものだろう。
ドレスデンはまだ復興の途中で、この歴史地区の中心部も例外ではなく、工事が続いている。旧東独時代には旧市街が復旧されたと聞いていたのだが、街のシンボルである聖母教会が復旧したのは2005年のことである。
砂丘の砂は照り返しがきつく、それだけみていると輪郭が消滅してテクスチャが目に焼き付く。きつい日射にやられていたのかもしれない。
風紋が出てるのはもちろん風があるからだが、当然砂丘表面では風で砂が激しく舞っている。防塵性のテストはしたくなかったのでアップの撮影は断念した。
このような風景では E-410 のオートフォーカスはしばしば使い物にならなかったりした。AFセンサーには過酷な風景だったようである。
ポルトの続き。川沿いは低所得者層の住宅地で、洗濯場が外にあるほどであった。もう10年も前の話であるが。6月26日のエントリと同様、コンパクトカメラのオリンパスμ2で撮影。侮れない画質だった。
クロアチアのアドリア海沿いの都市 Split。この旧市街は、ローマ帝国末期の皇帝ディオクレティアヌスが隠遁生活を営んだ巨大な宮殿跡である。中世に宮殿を少しずつ改造して街にしていったと思われるが、幾多の民族が通り抜け、歴史上の人物も少なからぬ数立ち寄ったであろうこの都市がもつ記憶の重層感は、石造の文明ならではのものであろう。
クロアチアの首都ザグレブを訪れたのは、戦争が終わって間もないころだった。ここは戦場にはなっていないのだが、大聖堂は修復中だった。大聖堂の中は熱心に祈りをささげる人が満ちていて、この旅行で幾度となく味わった戦争の傷跡を感じた最初の機会だった。